2026年8月6日、広島は被爆から81年を迎えます。
原子爆弾によって亡くなられた多くの方々に謹んで哀悼の意を表するとともに
今なお被爆の後遺症や心の傷を抱えておられる方々へ
心よりお見舞い申し上げます。
大切なご家族を亡くされたご遺族の皆様にも、心よりお悔やみ申し上げます。
あの日の出来事を忘れることなく
同じ悲しみが繰り返されない世界を願い、平和への祈りを捧げます。
私は、広島出身です。
広島で育った私にとって、平和学習は、小学校の頃から毎年行われるものでした。
8月6日は登校日になっていて、夏が始まると、みんなで平和の歌を練習した記憶があります。
当日に歌を歌ったり、平和について勉強したことを発表したり
クラスでまとめたものを班ごとに見せ合ったりしました。
小学校低学年の頃は、原爆や戦争について
まだ何が起きたのかをきちんと理解できていなかったとおもいます。
よくわからず8月6日の登校日に学校へ行くと
靴箱のあるフロア一面に、原爆によって起きたことを伝える写真や
資料が貼り出されていました。
幼かった私には、正面から見ることができなくて
下を向いて、できるだけ見ないようにしながら
少し早歩きで教室へ向かったことを覚えています。
当時の先生方や大人たちには、
「起きた事実を知ってほしい」
「二度と繰り返してはいけない」
という強い思いがあったのだと思います。
私が小学生だったのは、今から30年以上前のことです。
戦争を実際に経験された方々が、
今よりずっと身近にいらっしゃった時代でもあったのだと思います。
先日、本当に久しぶりに広島市を訪れ
10年ぶりくらいだったと思います。
少し遠くから原爆ドームを改めて見る機会がありました。
青い空。
夏の強い日差し。
鳴り続ける蝉の声。
周りには新しい建物が立ち、人が歩き、街は動いています。
それでも、その場所だけは、
あの日に起きたことを抱え続けているように感じ
うまく言葉にすることができませんでした。
どの言葉を当てはめても、何かが足りない気がします。
2026年は、被爆と終戦から81年です。
100年まで、あと19年です。年月だけを見れば、
戦争は遠い過去のことのように感じられることもあります。
そんな感覚になりつつある一方で、
世界から戦争や争いがなくなったわけではありません。
今も、戦争によって住む場所を失い、家族を失い、
命の危険の中で暮らしている人たちがいます。
1945年の終戦まで、日本はどのくらいの期間、戦争を続けていたのだろう?
改めて、日本が戦争へ進んでいった歴史を少し調べてみました。
教科書や授業では見聞きしたとおもいますが記憶に残っていなくて
「そうだったんだ…」
と、今になって知ったこともたくさんありました。
太平洋戦争は、1941年に始まり、1945年に終わりました。
太平洋戦争だけを見ると、約4年です。
だけど、日本の戦争は、太平洋戦争の開始と同時に突然始まったわけではなかったそうです。
1937年に始まった日中戦争を続けたまま、
1941年には、アメリカやイギリスなどとの戦争にも拡大し、太平洋戦争は1945年まで続きました。
また、日本国内の暮らしが苦しくなった歴史だけでなく
日本が植民地支配と侵略によって、
アジアをはじめ多くの国々の人々に大きな損害と苦痛を与えた歴史にも
目を向けなければならないと思います。
1937年の日中戦争が始まると、軍事物資を確保するため、
暮らしに必要な資源も少しずつ軍事目的へ回されるようになったようです。
1940年には、六大都市で砂糖とマッチの切符配給制が始まり
その後、対象となる地域や物資が広がっていったそうです。
戦争が長引くにつれて、食料や衣類など、さまざまな物が自由に手に入りにくくなったそうです。
1941年には金属類回収令が制定され、家庭にある金属製品も供出の対象となりました。
ある日突然、国中のすべてがなくなったわけではくて
最初は、少し不便になる。
自由に買えない物が増える。
使える物が減っていく。
我慢することが当たり前になる。
そして、戦争が続くにつれて、食べ物も、住む場所も、人の命も失われていきました。
長い歴史を積み重ねてきた国や街、人々の普通の暮らしが、ほんの数年で大きく壊れてしまう。
その速さに、改めて驚きました。
原子爆弾は、一瞬のうちに、たくさんの命と家族、家、街を奪いました。
「いけないことだった」
その一言だけでは、とても言い表せない思いになります。
あまりにも大きな力が、一方的に人へ向けられたとき、取り返しのつかないことが起きる。
そのことを、改めて考えたら…
もちろん、戦争や原爆による被害を
私たちの日常の出来事と同じ次元で語ることはできません。
被害の大きさも、起きていることも、まったく違います。
そのうえで私は、歴史に向き合う中で知った
「大きな力を誰かへ一方的に向けないこと」の大切さを
自分の日常にも引き寄せて考えました。
誰かに対して一方的になりすぎることや、
自分の正しさだけで相手を押し切ろうとすることは
私たちの日常の中にもあります。
家族や身近な人との関係。
仕事で関わる人との関係。
インターネットで出会う人との関係。
「私はこうしたい」
「自分の考えが正しい」
「相手のためを思って言っている」
そう思うこと自体が、悪いわけではないのです。
何かを良くしたいという思いも、
信念を持つことも、自分を守ることも大切です。
けれど、自分の思いが強くなればなるほど
相手の気持ちが見えなくなることがあります。
正しいことをしているつもりで、相手の声を聞かなくなることもあります。
相手が困っていない?
怖がってないかな?
嫌だと言えない状態になっている?
自分の望みをかなえるために、誰かの気持ちや暮らしを押しつぶしていないかな。
自分が正しいと思っているときほど
一度立ち止まって考えることが必要なのだと思います。
だからといって、
「絶対に人へ迷惑をかけてはいけない」ということでもないと思うのです。
少し前の時代には、「人様に迷惑をかけてはいけない」という言葉が
今より強く言われていたように思います。
でも、人は誰にも迷惑をかけず
一人だけで生きていくことはできないから。
誰かに助けてもらったり、心配をかけたり
間違えて謝ったり、修正しながら成長して生きています。
お互いに少しずつ迷惑をかけ、支え合い
許し合いながら生きていくことも、社会の一部。
迷惑をかけることと、相手を一方的に押しつぶすことは違って。
失敗することと、相手が嫌がっているのに傷つけ続けることも違います。
言いすぎてしまった、一方的に行動したとしても、気づいたときに
「ごめんなさい」と言えること。
ただし、謝れば、傷つけた事実がすべて帳消しにならにならないので
相手が許すかどうかを決める権利も、相手自身にあります。
相手の話を聞き、自分の行動を直そうとする。
自分だけが我慢するのでもなく、相手だけに我慢させるのでもなく
どちらか一方だけが潰れない場所を探すこと。
それが大切なのではないかと思います。
平和を祈ることは、とても大切です。
私もずっと、戦争がなくなればいい、世界が平和になればいいと願ってきました。
歴史を少しずつ知っていくと
人間は何度も争いを繰り返してきたことにも気づきます。
人間の中には、怒りや
自分を守ろうとする力もあります。
相手に勝ちたい気持ちや、思いどおりにしたい気持ちが出てくることもあります。
体の力も、言葉も、知恵も、道具も、使い方によっては人を傷つけることができます。
けれど同じ力を、人を守るためにも使えます。
体の力で、誰かを助けることができる。
言葉で、人を傷つけることも、励ますこともできる。
知恵や技術で、武器を作ることも、人の命を救うこともできます。
人間が持っている力そのものを、すべてなくすことはできません。
怒らない人間になることも、
自分の欲を完全になくすことも、きっとできません。
大切なのは、その力を何に使うのか。
怒りが生まれたとき、どこで止まるのか。
自分の性格や本質を全部変えられなくても、
「この言い方は少し強すぎないかな」
「ここから先は、相手を傷つけてしまうかもしれない」
「この力を、もっと良い方向へ使えないかな」
と考えることはできます。
一度ですべてうまくできなくても、気づいたときに
少しずつ使い方を変えていくことはできると思います。
歴史とともに、昔の知恵を言葉にすると
どういった表現になるかな?と調べてみましたよ。
仏教には、「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」
という「七仏通戒偈」と呼ばれる言葉があるそうです。
はじめて聞くことばです、簡単に説明すると
悪いことをせず、善いことを行い、自分の心を浄める。
それが仏の教えである、という意味。
中でも、私が心に残ったのは、
「自浄其意(じじょうごい)」という言葉。
自分の心を浄める。
私はこの言葉を、怒りや欲を無理になくそうとするのではなく
自分の中にあるものを自分で見つめることだと受け取りました。
「私は正しい」と思っている、その気持ちの中に
怒りや仕返しをしたい気持ちが混ざっていないか。
相手のためと言いながら、自分の思いどおりにしたい気持ちが強くなっていないか。
相手を責める前に、自分の心を一度見てみる。
言葉にすると簡単ですが、実際に行うのは難しいこと。
だからこそ、何度も思い出す必要があるのだと思います。
私たちは災害が起きた日には、防災について考えます。
備蓄を見直したり、避難場所を確認したりします。
それと同じように、8月6日は、亡くなられた方々を追悼し、
被爆の事実と歴史に向き合う日です。
そのうえで私は、自分の生き方についても
自分は、力の使い方を間違えていないかな。
誰かに一方的になっていない?大丈夫かな
と、自分の生き方を振り返る日にしても良いかもしれないですよね。
人を大切にすること。
自分を大切にすること。
ただし、相手を大切にするという名目で、相手の自由を奪わないこと。
自分を大切にするという名目で、周りの人を押しつぶさないこと。
自分も相手も、どちらかだけが犠牲にならない方法を探すこと。
平和は、政治や国際社会だけに委ねるものではなく
私たち一人ひとりの日々の選択ともつながっているのだと思います。
今日、誰かへ向ける言葉。
腹が立ったときに、一度立ち止まること。
相手の「嫌だ」という気持ちを聞くこと。
そして、自分自身の「嫌だ」という気持ちも無視しないこと。
間違えたときに謝ること。
力の使い方を、もう一度選び直すこと。
そんな小さな積み重ねも、私たちにできる平和の作り方なのだと思います。
戦争を繰り返さないように願うこと。
そして、日々の中でも一方的にならないよう、自分の心と行動を見つめること。
それが、今の私の平和の祈り方です。
2026年8月6日。
亡くなられた方々の安らかな眠りを心よりお祈りするとともに
今を生きる私たちが、人の命と心を大切にできる世界へ進んでいくことを願います。
