広島へ原子爆弾が投下されて74年目。
今日8月6日のこの日を迎えました。
原爆で人間のすることではない結果を生んだにもかかわらず
70年以上たっても「核兵器」は存在つづけています。
核兵器だけではなく、戦争や争いが無くなるように…
多くの人たちが望んでいるのに。
変わらないけど、訴え続け、政治から個人から
考えて、どうしたら完全なる平和が訪れるのか?
諦めずに試行錯誤するのは本当に大切だとおもいます。
数か月前にたまたま見たコラムで
外国で生まれた外国国籍の方の意見をみました。
「広島の原爆を体験した人が経験を話し続けている
事に対して、無駄であり無意味だとおもう」
という文章でした。
恐らく、「体験談」だけを伝えるのではなく
例えばデモであったり、政治的訴えを他国にするなり
打てる手はあるのではないか?と
言いたかったのかもしれませんが…
翻訳がストレートすぎたのか…
様々な角度から見たいタイプの私にとってでも、
(このコラム意見は)かなり遺憾な受け取りをしてしまいました。
下記に掲載している式典で知事が述べている
「本当は体験を話したくないだろうに…」
その通りだとおもいます。
辛い、つらすぎる以上の体験を、どんな想いで語ろうとされているのか?
思い出したくないはずなのに、それでも各々の意図や意味を感じて
話してくれているんです。
「体験談を話す」というのは、その外国人コラムニストが書いている
「直接的な利益はない」かもしれません。
ですが、平和って直接的な利益だけで叶うものではないですし
間接的に何らかの良い効果があれば、もし効果が間接にもなかったとしても
それでも≪誰かが何かをする行為≫を見守ってあげる
協力してあげるのは良い事だとおもうのです。
そうした支援や理解こそ、平和の心へ繋がるとおもいます。
余談ですが、原爆や戦争の経験を語られ続けるのは
子孫へ繰り返さないための教えであったり、忘れてはいけないと
伝える大切な繋がりです。
だけど、経験を語ることで理解されたり
同じ体験をした方同士で悲しみを交わし合ったり…
≪話す≫ということがカウンセリング効果として
大変な目に遭われた方の心を少しでも和らげる効果もあるのではないかと思うのです。
それが、眼に見えても眼に見えない無駄だとしても…
一生懸命になにかを伝えようとしたり
情報や体験を残そうとする人へ
尊敬の気持ちや歩みよろうとする気遣いが
そのコラムニストの方にあれば…と残念です。
今もまだ苦しまれている方が多くいらっしゃいます。
私にも体験のない苦しみだとおもいます。
そして原爆だけではなくあの当時に戦争に巻き込まれた
方々が国内外にいらっしゃいます。
現在に紛争地域で過ごしている人もいます。
今日、この日は広島の原爆の日として
クローズアップされますが、広島県外にも世界中にも
苦しんでいる方がいらっしゃることを忘れないでほしいです。
しんどい人、辛い人へ、優しくしてあげられる
≪あなた≫であっていただけたら嬉しいです。
いつもお話しているように
身近な人から幸せの輪を広げ
小さな争いから無くそう。
世界平和が一刻も早く叶いますように。
原爆に遭われたかた、ご家族のかた
戦争で苦しまれたかたや苦しんでいる人が
どうか救われますように。
亡くなられた方へ
ご冥福をお祈り申し上げます。
ashpink Bambi
代表 堀江 真代
◆ ↓ 県知事の話された「隣の家の人」のたとえ話がとても印象的でした。